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 今、ここにいること

 

ここ一ヶ月は、旅行づいていてハワイと沖縄に行ってきました。旅行に行くと日常から離れて毎日が目新しく 道ばたの花に対しても感じ方が変わってきます。同じ24時間を過ごしていても 自分でイベントを作っていることもありますが、一日が長く感じます。

この感覚は子供の頃の 時間の感覚に近いものではないでしょうか。いろんなものに興味津々で、石ころが大事なおもちゃに変身して遊べる様なことです。大人になると石ころはただの石以外のものには見えなくなって わざわざ拾って観察しようなんて思わなくなります。しかし、旅行先では拾った石がお土産になったりします。実際、我が家の石コーナーには、いろんな所で拾われた石が並んでいます。キラウェア火山の溶岩・沖縄の海で拾った小さな珊瑚・ベンチューラビーチ(カリフォルニア)の平べったい石・どこかの川縁で拾った卵みたいな石・・などなど。家の前にも似た様な石は転がっているのに、振り向いて見ようという気にもなりません。

“今,ここにいる”とは、いつでも宝物になる様な石を見つけられる様な生き方ではないかと思っているんです。ボーと日常に流されていたり、過去の出来事を後悔してクヨクヨしたり、明日、来週はどうなっているかしら・・とまだきてもいない未来の心配をしていたら 足下の石には気がつきません。

幼い子供と歩いていると なかなかお家に帰り着けません。何にでも興味を持って、全てが初めての経験だから、体ごと“今、ここにいる”状態なんですね。ゲーム感覚で、“今、ここにいる”遊びをやってみたら楽しいかもしれません。朝起きて、引っ越しをしてきた最初の日だと想像してみます。太陽がどちらから差してきて 部屋がどんな風に見えるのか・・窓からはどんな景色が見えるのか、意識的にやってみると よく知っていると思っていた景色さえ新鮮に見えるし、実際新しい発見もあるかもしれません。たぶんそんな目で見ると、見慣れた日常に新しい発見がたくさん出てきそうです。

とっさの出来事に 頭が真っ白になってしまうことってありますよね。真っ白な頭でやってしまうことってまさに “今、ここにいる”状態でないと出来ないことではないでしょうか。思いついたのは、小学生のときに体育の時間でしたが、運動が苦手なわたしは、棒のぼりもほとんど出来ませんでした。ボーと(シャレじゃないよ)してたら、先生に呼ばれていて登る順番がきていたらしいのですが気がついていませんでした。まわりから言われて慌てて何も考えずに動いていたら、気がついたらてっぺんまで登っていたという経験があります。自分でもなんで登れたのか?その後はやはり登ることが出来ませんでした。

“今、ここにいる”時の自分は 自分が思っている以上に可能性に満ちているように思えます。例がしょうもなかったので、感じてもらえるかどうか分からないけれど、ウ〜〜ン十年前のその経験を今でも大事に覚えていると言うことは 面白いことだったからでしょう。

日常の何でもない様な生活を、“今、ここにいる”感覚で生きたら楽しいことが増えそうな気がします。

*写真は、サンディアゴ(アメリカ西海岸)の砂漠の中にある塩湖・ソルトンレイクです。湖面と空の境目がない不思議な風景でした。

 

 

                                       

 


     

                                                

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